ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
  • 学校紹介
  • 学校生活
  • 進路状況
  • 部活動
  • 受験生の方
  • 在校生の方

現在地

松山東雲中学・高等学校 > まんが 東雲学園百年史

まんが 東雲学園百年史

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年8月21日更新

幻の「まんが 東雲学園百年史」が読める!

 1995年11月3日に発行された、当時の「松山東雲高等学校マンガアニメクラブ」編集による「まんが 東雲学園百年史」がデジタルブックで復活しました。
 是非、ご覧ください。

まえがき

 この本は、昔の東雲を知っている人には懐かしく、知らない人には新鮮に、東雲の歴史を理解してもらえるようにと思って作りました。

 ですから「ノンフィクション漫画」であり、勝手に話を創作したものはありません。すべて実話を構成したものです。また、出来るだけ事実に即していくために、登場人物はすべて実名で出させていただきました。ご了承ください。

 作品は全部で9編に分かれており、基本的に1編を生徒一人が担当して、それぞれ読み切り(各話完結)としました。

 製作は1学期末から始まって、生徒たちは夏休みもほとんど学校に来て資料調べ・ストーリー作りに没頭しました。それでも、漫画を描くのは大変なことで、みんな何度も投げ出そうとしたのが本音です。それでも、お互いに協力し、励ましあって、何とか仕上げることが出来ました。いい仲間でした。

 なにぶん素人の作品ですので、プロのようには出来ませんが、それぞれ一生懸命がんばった「意欲」を見て下さい。

 最後に、この本の製作に当たって参考にした多くの文献、膨大な量の写真資料を残してきてくれた方々に感謝します。それらの物なくしては、この本も全く形をなさなかったでしょう。また、その他、協力・応援をして頂いた多くの方々に感謝の意を表したいと思います。ありがとうございました。

表紙

  ※ 下のタイトルをクリックすると閲覧できます。

  1.松山東雲女学校の創立 ~創立者 二宮邦次郎校長~ 

  2.ジャジソンの願い ~第二代ジャジソン校長~

  3.バザーは奉仕の精神 ~第三代ホイテ校長~

  4.校門 ~空襲で焼けなかった唯一の建物~

  5.私達の戦い ~太平洋戦争中の東雲~

  6.東雲に捧げた人生 ~第六代ジレット校長~

  7.グリーンチャペル

  8.涙の無監督試験 ~生徒を信じて~

  9.東雲の制服の変遷

 

《 歴代校長とその時代のできごと 》

任期校長先生その頃のできごと
1886~1906(明治19~39)初代二宮 邦次郎四国初の女子校として「松山東雲女学校」を創立した。
1906~1920(明治39~大正9)2代コルネリオ・ジャジソンアメリカン・ボードの経営になる。
大街道の赤十字病院跡地を購入(現高等学校)。
1920~1940(大正9~昭和15)3代オリーブ・S・ホイテバザー・校歌・校章・制服の始まり。
校門、家政館、体育館、ピアス館建設。
「松山東雲高等女学校」となる。
1940~1944(昭和15~19)4代西村 郁夫日米関係が悪化し、米国人は帰国。
太平洋戦争始まる(1941)。
校歌を発表。
1945~1949(昭和20~24)5代西村 清雄松山大空襲で校舎は全焼となる。
終戦を迎える(1945)。
制度上、中学校と高校に分かれる。
1949~1961(昭和36~39)6代クレアランス・S・ジレット戦災で失った校舎を復興。
グリーンチャペル建設。
無監督試験を実施。
1961~1964(昭和36~39)7代二宮 源兵ジレット館(生徒会センター)建築。
新ピアス館(現在のもの)建設。
松山東雲短大(食物科)発足。
1964~1975(昭和39~50)8代白石 勉クローバーデイ始まる(今までのバザーと文化祭を合体したもの。
めぐみハウス(寮)出来る。
1975~1990(昭和50~平成2)9代西村 拓高校に英語科を新設。
東雲学園100周年を迎える(1986)。
100周年記念館。
1990~1995(平成2~7)10代妹尾 頴一松山東雲女子大学発足。
100年史の編纂。